もろもろの話

2008/03/26〜2008/03/30

マハーマクト仏教大学ランナー校
『止観(頭陀行)』

 

 マハーマクト仏教大学ランナー校では、毎年、3月下旬、その年の卒業予定の比丘の学生を対象に、ウォークラリーが行われています。ラリーの名前は「止観」で、副題に「頭陀行」とあります。毎年、比丘の学生から「来ないか?」と誘われていましたが、誘われるのがいつも実施の直前のため、都合がつかず、参加できませんでした。今回は、メーホンソーンからチェンマイを歩くコースです。例によって、直前に学生から誘われたため、全行程は参加できませんでしたが、「頭陀行」とはどんな行をするのか、また、禅定の指導もあるとのことで、自分の禅定を向上させるためにもと、後半の5日間、参加しました。

 メーホンソーンからチェンマイまでのこのコースは、メーホンソーンのクンユアンの戦争博物館から、ドーイ・インタノーンを横断し、メーワンまで至る、旧日本兵がビルマからの逃走に利用したルートの一つです。主に健常な日本兵が通過したそうですが、メーワンからさらに山を下るサンバトーンに至るルートは通称「白骨街道」とも呼ばれ、多くの日本兵が命を落としたところです。

 

出発前

 「25日以降は参加できるので、もし、大学からの連絡便があるならば、それに便乗させてください」と事務に頼んでおきました。予定だと、27日に連絡便が出るはずでしたが、突然、「予定の日は、タン・ブンする人たちが多いので、明日出発することになりました。8時に大学です」と、連絡が入りました。直前の予定変更は、毎度のことで、驚きませんでしたが、明日とは・・・。まだ、何の準備もしていません。大学に行き、知っている比丘に、何を持って行った方がいいか、尋ねました。

 まず、頭陀行は歩くので、足元はしっかりしていた方がいいとのこと。ウォークング用の靴でも良いとのこと。比丘に尋ねると、比丘用の草履が一番良いと。これは、日本で昔よく見かけたビーチ・サンダルで、45バーツくらいで市場で、在家用のが手に入ります(比丘用のものは仏具屋で、鼻緒の色が褐色)。ここは、比丘の助言に従って、ビーチ・サンダルを準備しました。距離を歩くので、足が痛くなるから、筋肉痛用の塗り薬。蚊よけの薬、寝るときの蚊帳を持参しておいた方がいいとのこと。

 以前、寺で禅定したときに、においのしない蚊よけの薬(においは禅定の妨げになる)、懐中電灯、目覚まし時計を持って行ったので、それに準じて、荷物を準備しました。仏具屋で蚊帳を、薬屋で蚊よけの薬を購入。頭陀行で荷物を持って歩かなければならないだろうと、なるべく、荷物は軽くして、ザック一つのまとめました。

 

26日

4:00

起床、身辺整理

4:30

勤行堂に集合 禅定(座禅および歩行禅) 読経 朝の勤行

6:30

朝食 清掃

7:45

メームート村内を托鉢

8:30

境内を清掃

【10:00 ワット・ヴィムッティダーラームに到着】

11:00

昼食

13:00

比丘の学生は勤行堂に集合 禅定(座禅および歩行禅)

14:00

カンマターン向上の講義

15:00

飲水と行の疑問点の質問

15:15

禅定(座禅および歩行禅)

17:00

就寝所に帰り、清掃、休憩 自由行動

18:45

飲水

19:00

勤行堂に集合 禅定30分 夕のお勤め カンマターン向上の講義

20:45

15休憩 禅定(座禅および歩行禅)

22:00

就寝所に戻る

 

 朝、8時に大学到着。すでに出発の準備はできていました。聞くと、大学が学生の一行に昼食の差し入れ(これもタンブンです)をするため。10人乗りのバンに大学の事務の職員15人が乗り込み、出発。それとは別に、大学職員の比丘の乗る車も一台、別に出ました。さらに、差し入れのご飯を積んだピックアップトラック、一台。

 

 10時頃、寺に到着しました。早速、大学からの女職員たちは昼食のタンブンの準備です。本堂の上がりでは、村人たちが、ニンニクの皮をむいたりして、タンブンの準備をしています。

寺では、本堂の入り口で、村人たちがタンブンの準備をしていた。

昼食の準備をする大学の職員たち。

 境内を見回すと、青や緑の一人用のテントが花盛りです。そのテントの間で話している学生、洗濯をした衣を干す学生、トイレのそばで衣を洗濯している学生が見えます。境内の一角から読経の声も聞こえます。

昼食を受け取り、本堂へと向かう学生。

 

 庫裡にあがると、事務総長と教育サービスセンターの職員の比丘、在家の職員が二人ほどいました。事務総長と教育サービスセンターの職員の二人の比丘は、かなり疲れているようで、横になって寝ていました。事務総長は私が来たことに気づき、起きあがりました。事務総長たちと、今までの旅程がどうであったか、クンユアンの戦争博物館では日本のものがたくさん展示されていたこと、村々で歓迎を受けたことなどを話していると、やがて、昼食の時間になりました。

昼食をとる学生たち。

 

 

 比丘の職員および学生たちは、托鉢の鉢の蓋をもって、本堂の前に並べた机の上の施食を受け、本堂に入っていきます。本堂の中では、比丘と沙弥の座が分けられていて、沙弥と比丘は同じ座では食事をしません。

 比丘たちへの施食がすむと、私たち在家も昼食です。比丘たちは本堂内ですが、私たちは本堂の外で昼食です。村の人が用意した食事、大学が用意した食事を頂きました。

 食事がすむと、学生たちは、大学の事務の職員から、卒業単位の認定についての説明を受けました。

卒業の単位の説明を受ける学生。

 別便で来た、大学の比丘の職員たちは車に乗り込み、寺のそばにある滝を見学して、大学に戻りました。一般職員は、単位の認定の説明が終わってから、チェンマイに戻っていきました。私はそのまま居残りです。

 3時に豆乳が出ました。その後、学生たちが、禅定をしているかどうが、見て回りました。ところが、誰も座っていません。一角に、かつで『大乗仏教の哲学』を教えた学生たちが集まっています。何をしているかと近づくと、事務員の比丘が、学生に足をマッサージさせています。それまでの行程、この事務員の比丘にとっては、かなり辛かったらしく、足はマメだらけです。マッサージをしている比丘の学生によると、筋を痛めているとのこと。その横で、ほかの学生たちが、読経の練習をしています。

 6時過ぎ、再び学生のところへ行ってみました。暗くなりかけなので、学生たちは、枯れ木を集め、たき火を始めました。どこかから、炭で真っ黒になったやかんを持ち出してきて、お湯を沸かし、ハーブのお茶を入れてくれました。学生たちは、木の枝に餅米を巻いて、火であぶっています。お茶を飲みながら、クンユアンの戦争博物館のこと、途中に温泉があったことや、植林を手伝ったことなど、それまでの話を聞かせてくれました。その時、ふと気づくと、不思議なことに、学生の言っていることが、日本人が話しているような流ちょうな日本語で聞こえてきます。自分は、学生たちと日本語で応対しています。しかし、学生は、日本語が話せないのです。でも、学生との会話は成り立っているのです。この不思議な体験は、最終日に、日本兵の慰霊碑があるバーン・カート高校の脇を通るときまで、しばしば、繰り返されました。

 

27日

4:00

起床、身辺整理

4:30

勤行堂に集合 禅定(座禅および歩行禅) 読経 朝の勤行

7:30

朝食 頭陀行のルートについての説明と注意

8:30

頭陀行に出発 16キロの行程

16:00

メーワーン郡ワット・マイパーンドゥーン(宿泊所)到達

17:00

頭陀行用の長傘を開くなど、宿泊準備

18:00

飲水 宿泊についての指示

19:00

勤行堂に集合 禅定30分 夕のお勤め カンマターン向上の講義

22:00

就寝所に戻る

 

 4時起床。朝食の後、今日は移動日で、日中、かなり暑くありそうなので、予定を変更して、早めに出発するとのこと。7時過ぎに、昼食の餅米と鶏の足の唐揚げを受け取って、三々五々、準備ができた学生から寺を出発です。頭陀行なので、すべての荷物を持って歩くのかと思っていたら、荷物運び専用の車があり、それにテントやシュラフ等の荷物を預け、各自、頭陀袋だけの軽装で歩いていきます。私は事務総長たちと一緒に、最後の出発です。1キロほど、事務総長たちと一緒に歩きましたが、歩くペースがあまりにも遅いので、群れからはなれ、先に歩き始めました。時々、歩いている学生の姿が、先の方に見えます。その歩いている一団から、たまに、一人が群れからはずれて行くのが見えます。何をしているのだろうかと思っていると、道ばたの人目につかないところでしゃがんでいます。衣なので、立ちション便ができないので、座りション便をしていました。

事務総長を先頭に歩く最後尾のグループ。

  早速、一休みの事務総長。

 まだ朝早いので、村落を抜けるとき、あちらこちらで、タンブンがありました。学生たちは、慣れたもので、お経をあげて、布施の品々を受け取っています。

 黙々と歩く学生。

冷たい飲み物のお布施。

 昼前には、もう次の宿泊の寺に着いていました。学生たちは、例によって、各自テントを広げて、寝場所の確保、それが終わると、洗濯したり、お経の練習をしたりしていました。 事務総長たちは、午後の2時過ぎの到着です。

 本堂で寝ようと、本堂に入ってみると、本堂の電源は、携帯の充電の嵐でした。行の最中でも、携帯を持って来ているんですね。

 木陰は気持ちがいいなぁ。

夕方、3時過ぎに豆乳。

 

28日

4:00

起床、身辺整理

4:30

勤行堂に集合 禅定(座禅および歩行禅) 読経 朝の勤行

6:30

朝食 清掃

7:45

村内を托鉢

8:30

境内の清掃

11:00

昼食

13:00

比丘の学生は勤行堂に集合 禅定(座禅および歩行禅)

14:00

カンマターン向上の講義

15:00

飲水と行の疑問点の質問

15:15

禅定(座禅および歩行禅)

17:00

就寝所に帰り、清掃、休憩 自由行動

18:45

飲水

19:00

勤行堂に集合 禅定30分 夕のお勤め カンマターン向上の講義

20:45

15休憩 禅定(座禅および歩行禅)

22:00

就寝所に戻る

 

 この日は、予定の寺内、村内の清掃もなく、特別に何するでもなく、歩行禅のやり方を習ったりして、一日のたりのたり、と過ごしました。午後は、3時過ぎから、試験がありました。今まで、学生が何で読経の練習をしているのだろうと思っていましたが、そのお経は、禅定の要点をまとめて、パーリ語とタイ語で書いてある禅定のテキストだったのです。その暗唱テストがありました。専攻によって、出来不出来の差がひどかったです。この日は、ほとんど、本堂で昼寝をして過ごしました。

托鉢の鉢の蓋で顔を隠して、バケツを抱えて昼寝する学生。

禅定テキストの暗唱テスト中!

 

29日

4:00

起床、身辺整理

4:30

勤行堂に集合 朝の勤行 禅定 経行

7:30

朝食 頭陀行のルートについての説明と注意

8:30

頭陀行に出発 7キロの行程

16:00

メーワーン郡ワット・ドーイサッパンの勤行堂(宿泊所)到達

17:00

頭陀行用の長傘を開くなど、宿泊準備

18:00

飲水 宿泊についての指示

19:00

反省会

22:00

就寝所に戻る

 

朝食のタンブン。やっぱり、餅米!

 7キロの行程なので、予定を変更して、昼食後に出発です。日中を歩いていると、所々で、ペットボトルの冷水のお布施がありました。先生と言うことで、私ももらいました。今日歩いているところは、かなりチェンマイも近くなっているので、上級公務員を退職した人が土地を買って、市場に出す植物や植木を栽培しているところです。家々も現代風で、村落を形成していません。それぞれの自分の広い土地の中に家があり、家々は点在しています。また、村落の中を通るのと違い、遊んでいる子供の姿も見えません。

 途中、木の柵で囲った中を、十数頭の牛がぐるぐると走り回っています。比丘の姿を見て、興奮したのでしょうか。横目で見ながら歩いていると、やがて、バキバキという音。牛が柵を乗り越えて出てきました。比丘の学生たちと一緒に走って逃げました。牛は私たちと反対の方向へ走っていきました。

記念撮影。

いざ、出発。今日は、7キロだけ。

 所々、昔ながらの村落もあります。そこには、小さな駄菓子屋、よろず屋があります。その前を通り過ぎると、衣をだらしなく羽織った学生が、店の前の椅子に座って、ジュースを飲んだり、アイスクリームを食べたりして、休んでいます。学生たちが、「先生も休んで行こうよ!アイスクリーム、おいしいよ!」と声をかけてくれます。

 やがて、大きな寺に着きました。すでに、先発していた学生の一部が休んでいます。そこには冷水の準備もしてあります。冷水をもらい、一休みしてから、本堂へ行ってみました。本堂の柱には、すでに、先に着いた学生の充電中の携帯が・・・。しばらくすると、「宿泊所はここではなく、まだ先だ」との声がして、移動を始めました。チークの木の枯れ葉を、赤アリに刺されないように注意しながら歩きます。

着いた寺にあった巨大な仏像。

 宿泊所の寺に着くと、まだ建設中らしく、壁のない、屋根だけの本堂です。本堂と言うより、広い屋根付きの、スーパーなんかにある駐車場と言った風です。トイレも工事場の仮トイレと言った風で、水の出もよくありません。当然、トイレで水浴びはできません。そばに水浴び場がありましたが、露天で壁もなく、1×4×0.6メートル位のコンクリートの水溜が二つあるだけです。それも長い間使っていないようで、中には葉っぱやゴミや埃が浮いていて、水は腐っていていました。10人ほどの比丘の学生と、世間話をしながら、清掃です。中は、水苔が生えていて、比丘の学生が掃除しながら、転がっています。30分ほどで、清掃も終わり、水をため始めます。

水浴び場の清掃中。

 水浴び場所の清掃を済ませ、寝る場所の準備をしていると、みるみる日が暮れてきて、山の上のここから、サンパトーンの町の灯が見えます。

 6時くらいから、体重測定です。大学側は頭陀行前の学生の体重を、しっかり記録していました。ほとんどの学生が5キロくらいは痩せていました。中には10キロ以上もやせた学生もいましたが、元々太っているので、見た目は「そんなに痩せたの?」と、ほとんど、変わったようには見えませんでした。噂によると、痩せたキログラムがそのまま行の成績の加点になるとか・・・?

学生と記念撮影。

 体重測定が終わると、水浴びが済んでいない学生が懐中電灯を頼りに水浴びをしに行っています。オカマの比丘と言うのは、当然、戒律に触れるのでいないのですが、沙弥から比丘になったばかりの学生には、すご〜くオカマ風の学生もいます。オネー言葉でしゃべり、衣も体のラインがわかるようにぴったりと身につけ、おしりをなまめかしく振りながら、手も、手の平を開いて手の甲を上にして、オカマ歩きで歩きます。トイレに行くと、ちょうど彼らが水浴び中でした。まるで女の子のように、胸までをバスタオルで覆い、バスタオルの下からは、真っ白でまっすぐな足が伸びている、しかし、坊主頭と言う、なんともなまめかしい姿を目にしてしまいました。

 7時からは、満行の認定証をもらい、そして、反省会です。本堂で、専攻別に順番に、各自が、良かった点、つらかった点などを、みんなの前で話します。中には、自分で作った詩の朗読をする学生もいます。さすがに、2週間も一緒に生活していると、お互いに親しくなっているので、ヤジは飛ぶは、それに言い返すはで、とても盛り上がっていました。司会をしている比丘の先生は、ランナー出身でないので、キャンパス内の標準語のランナー方言がわからず、時々、話している学生に聞き返しています。それに対しても、聴衆の学生が冷やかします。

夕方の読経。

満行の認定証の授与。

印象に残ったことを述べる学生。

自作の詩を披露する学生

 反省会が終わると、その場で、就寝です。壁がないので、蚊がうるさく飛び回ります。やがて、蚊を追い払うために、大型の扇風機が回り始めました。蚊が静かになったので、いつの間にか寝入ってしまいました。屋根だけのガレージに寝たようなものなので、これで、「どこでも寝られるぞ」と、変な自信がついた気がします。

 

30日

4:00

起床、身辺整理

4:30

勤行堂に集合 朝の勤行 禅定 経行

6:30

朝食

7:00

解散

8:30

大学到着

 

朝食のタンブンの準備にきた村人に起こされる。

 4時の起床のはずですが、最終日なので、4時に目覚ましが鳴っていても、誰も起きようとはしません。5時頃、朝食をタンブンに来た村人たちの車のヘッドライトとクラクションで、みんな、ごそごそと起き始めました。

 

 5時半過ぎに朝の勤行を済ます頃になると、タンブンの村人たちとは別に、比丘を迎えに来た村人たちが集まり始めます。比丘の中の何人かは、すでに寺の住職のようで、その比丘と連絡を取るための携帯の音があちこちで響きます。

食事をタンブン。

行、最後の朝食。

 6時半過ぎから、迎えが来ている比丘が帰りはじめました。特に、解散式もなく、7時前に解散。迎えが来ていない学生のために、チェンマイの大学まで戻る黄色のソンテオ3台、そのほかの方面に行くソンテオが2台、都合5台のソンテオが呼ばれました。私は学生と一緒に荷台に座りたかったのですが、女の運転手がいたので、その助手席に座ることになりました。帰りすがら、日本人兵士の慰霊碑のあるバーン・カート高校の脇を通ると、不思議と、日本語が聞こえなくなりました。チェンマイへは、意外と早く、1時間弱で、8時半、予定通り、大学に戻りました。ここでも、流れ解散でした。

荷物をトラックに載せる学生。

ソンテオでチェンマイへ。

 全行程、一度、自腹で買った水、20バーツの出費だけでした。

 

 後半だけの参加でしたが、頭陀行と言うより、荷物を運んでくれる車があったりと、ウォーク・ラリーと言うにふさわしいような気がしました。それにしても、みんな歩き慣れていない、一日あたりの歩く距離が短いような気がしました。

 もっとも、朝の托鉢で何キロも歩かなければならない寺に住んでいる比丘が、チェンマイの大学まで寺から通っている訳はない(大学に通うことになったら、チェンマイの寺に移動する)ので、彼ら学生にとっては、かなり長い距離だったようですが・・・(お坊さんに限らず、タイ人は歩かないよな!)。いつもは、英文学と仏教学の学生を相手にしているので、ほかの専攻の学生も見れて、やっぱり、専攻による色って出るんだな、と実感しました。

 いろんな学生と話す機会にもなりました。学生は、この後、一年間の実習を行ってから、正式に卒業になります。一部の学生は比丘としての生活を続けますが、多くは還俗して、仕事を探します。今、チェンマイでの就職は、非常に難しい。チェンマイでのトップの旧国立系のチェンマイ大学でも、卒業生の50%が就職、25%が大学院への進学(仕事が見つからないので、進学をする者も含む)、25%が完全に仕事が見つかりません。一流大学でもそのような状況なので、やはり、学生にとって、仕事を見つけるのが大変で、将来に対する不安を口にしています。

 また、徴兵制への悩みも聞きました。ここ、ランナー校で学ぶ大部分の学生たちは、仏教寺善行学校の出身です。この学校は、たとえば、寺の住職さんが私財をなげうち、在家の人々から寄付を集めて、運営する学校です。タイでよく目にする寺の境内にあり、学ぶのは沙弥(見習い僧)の黄色い衣を着た子供たちの学校です。

 多くの普通の学校では、授業時間に軍事訓練の時間を取り入れていますので、その軍事訓練を受ければ、徴兵は免除されます。しかし、仏教寺善行学校では、戒律とのかねあいもあり、軍事訓練を取り入れることができません。ですから、比丘の学生たちは、大学卒業と当時に、徴兵検査を受けなければならなくなります。徴兵は、全員徴兵ではなく、くじ引きで、徴兵されるかどうかが、決まります。くじ引きで当たれば、徴兵されます。そして、1年間、兵隊として勤めなければなりません。一方、徴兵を受けずに兵隊として志願すれば、6ヶ月間で済みます。

 以前のように、南タイで問題がなければ、死ぬ確率は低かったのですが、徴兵されたらどこに配属されるか分からず、もし、南タイに配属されるようだったら、死ぬ確率が高くなります。実際、卒業して、親の知らない間に徴兵され、南タイに配属になり、死亡して家に帰った来た言う話も聞きます。そのようなわけで、学生たちは、志願して6ヶ月で済ますか、運を信じて、徴兵を受けるか、頭を抱えています。

 

 来年は、チェンライからチェンマイまでだそうですが、3ヶ月間の頭陀行にするとか、いろんな話が出ているようです。